(5)一九六九年冬
一九六〇年代後半に入ると日本から米国への輸出超過が固定化し両国間で燻っていた経済摩擦が一気に火を噴き日本は苦肉の策として繊維製品を中心とする自主規制を始めた。
欧米の大手量販店向けの電機製品を受託生産する福沢電機は自主規制が電機製品に及び会社の存続危機へと繋がると考え、台湾南部の高雄市に設けられたばかりの高雄輸出加工特区への進出を決め責任者として橘隆一を指名した。
輸出加工特区は税制面で優遇して海外から輸出企業を誘致し自国の経済発展と雇用の創出を目的とし十万坪を超える広大な土地を高い壁で囲い海側には大型貨物船が接岸出来る港が整備された。
輸出の為の税関施設や保税倉庫はもとより郵便局、保健所などの公共機関から銀行・ガソリンスタンド・飲食店など全てが整えられた。
指名を受けた橘隆志は現地視察を繰り返し台湾側の窓口となる海外投資促進中心との打ち合わせを重ね加工特区内の一等地に工場建設する事になった。
橘隆一は指名から半年後の一九六九年二月、経理の八木貞夫と総務の吉田英四郎を伴って小雪のちらつく伊丹国際空港から台北松山空港経由して高雄に正式赴任した。
高雄空港から市街地に向かうタクシーの中で助手席に座った吉田が温かい処で暮らすのもいいものですねと浮かれたように感想を述べた。
真冬の日本から初めて訪れた吉田にとっては当然の感想かも知れない。
それとは正反対に年配の八木は、伝染病はどうかとか治安はどうかとか不安ばかりを口にした。
「伝染病は心配ないと思いますが屋台の食事や生水でお腹を壊すことはよくあるそうですから気を付けた方がいいですね・・治安は現在も戒厳令下だから危険な目に合う事は少ないと思いますが空き巣なんかは多発しているみたいです」
「それは怖い話ですね」
「必要以上に恐れる事は無いと思いますが皆の住まいはその辺も考えて決めてもらえばいいと思います」
「我々二人だけで判断できますかね」
「明日一番に海外投資促進中心の劉所長所のところへ挨拶に行ってもらいますが、そこの職員で楊さんという人が通訳を兼ねて手助けしてくれる手筈になっています、彼がその辺も考慮して物件の目星を付けてくれているそうですから間取りや使い勝手を考えて決めてもらえば大丈夫だと思いますよ」
緊張した八木の顔が初めて綻んだ。
「皆の住まいとは別に駐在員が集まれる寮のような場所を作って賄いの小母さんに単身赴任者の夕食を作ってもらおうと思っていますのでそれもお願いします、賄いの小母さんは劉所長に紹介してもらうように頼んでありますから」
「分かりました」
「ただ木曜日は海外貿易促進中心のオフィスを借りて台湾人スタッフの面接を予定していますのでその日だけは空けておいて下さい、取り敢えず三人と考えていますが劉さんの話では応募者が既に五十人を越えているそうです」
「それはすごですね」
当面のスケジュールを確認しながら滞在予定のホテルへ向かった。
橘自身は当面ホテル暮らしをすると伝えてあった。
(6)事務所開き
後発組の大草正樹と横山民雄を高雄空港に迎え全員が高雄の住まいに落ち着く頃には町の中心に建つ大きなビルの二階に台湾福沢電機設立準備事務所も整い、日本人五人と採用が決まったばかりの台湾人スタッフ三人が初めて顔を揃えた。
「皆さん、おはようございます、今日は台湾福沢電機がスタートする記念すべき日です、工場が完成するまで、この八人で準備を進めて行くので宜しく頼みます。
早速メンバー紹介に入ります、こちらは八木貞夫さん・八木さんは経理部門を担当します、次に大草正樹さん・大草君は製造部門の担当です、この背の高い吉田英四郎君は総務人事部門を担当します、最後に一番若い横山民雄君、彼は当面大草君の下で生産ラインの立ち上げを担当してもらいます、ゆくゆくは台湾にも設計部門を作る予定をしていますので、その時の設計部門の担当者になってもらうつもりでいます。
次に今日から正式に台湾福沢電機の社員になった台湾の三人を紹介します。
こちらは謝佳賢さん、謝さんは日本統治時代の学校を卒業されており、面接の時もいろいろお話ししましたが日本の事をよくご存じなのでびっくりしました、これからは我々の知らない台湾の習慣や風習なども教えて貰えればと思っています、謝さんは総務部の所属とします。
次は楊英華さん、楊さんは台湾の日本語学校を卒業して日系の繊維会社で3年間勤めていましたが今回当社に入社頂きました、楊さんは製造部に所属してもらいます。
最後に宋秀麗さん、宋さんは大学を出て暫くお父さんの会社で働いていたそうですが外の世界で働いてみたいという動機で当社を受験されたそうです、宋さんは総務部の所属としますが私の秘書と通訳をお願いする予定です」
全員の紹介が終わると、それぞれ個々に言葉を交わしながら新たな門出を祝った。
(7)銀行との融資交渉
着々と進められている工場建設は台湾政府から借り入れた土地に本社から持ち込まれた資金で進められているもののその後の運転資金は台湾福沢電機単独で現地調達しなければならない。
本社が借入保証するとは言え銀行と交わす融資契約は今後の工場運営の成否を握ると言っても過言ではなく、少しでも有利な条件を勝ち取るために謝佳賢を通訳として帯同させ何度も交渉を繰り返していた。
ただ交渉は終始銀行側のペースで進み謝佳賢も相手が政府系の銀行だから先方の条件を吞むしかないと言い出す始末で橘はとても納得がいかないばかりか言葉が分らないなりに謝佳賢の通訳にも疑問を持つようになり最後の交渉を迎えるに当たって大きな賭けに出た。
次回は今までの経緯をベースに最終調印をするだけだから通訳として宋秀麗を同行させると謝に断って秀麗と共に入念な予行演習をして当日を迎えた。
この日はいつも一番に出社する秀麗が始業時間を過ぎても顔を見せず、早朝から降り始めた激しい雨のせいだろうと一時間ほど待っても遂に現れなかった。
仕方無く謝を応接に呼んで午後からの融資交渉に同行するように伝えようとした正にその時だった。
全身泥まみれの秀麗が事務所に現れた。
何時もアメリカ製の大型バイクで通勤する秀麗は激しい雨の為に自転車で大渋滞を起こしていた幹線道路を避け舗装されていない裏道へとバイクを迂回させた。
バイクは轍と水溜りをものともせず快調に走っていたが突然猛スピードで通り抜けた大型トラックに煽られ道路脇の泥濘にバイクごと倒れ込んでしまった。
幸いにも大けがはしなかったもののズボンの膝頭は破れ全身泥まみれとなった。
「今日は大変だったね、君が何とか間に合って本当に助かったよ、お陰で交渉も旨くいったし」
交渉は台湾福沢電機の将来の拡大計画を改めて説明して既に示されていた金利条件がローカル企業に対するそれよりも高い事を指摘した。
更に日系資本であっても台湾福沢電機は台湾の会社であり将来的には二千人以上の社員を採用するつもりであると強調した。
相手は相手で日系資本であればこの程度の金利は十分に吸収できとの一点張りで引き下がらず橘隆一は最後の殺し文句を投げつけた。
「分かりました、この融資条件のままですと当社はとても呑めませんので今回の融資の話は一旦白紙に戻してください、こちらも潤沢に資金が有る訳ではないので海外投資促進中心に提出した将来の拡張計画を見直して遅らせる事を検討してみます」
秀麗の淀みのない通訳で融資責任者の顔がみるみる変わった。
銀行は台湾政府の出先機関である海外投資促進中心の劉所長が先端企業の進出だと積極的に福沢電機を応援している事を知っており、融資条件が物別れする事で福沢電機の拡張計画が遅れれば台湾政府の雇用拡大政策にも悪い影響を与えると分かっていたからである。
橘隆一が強気に出た発言を秀麗は顔色一つ変えないでそのまま通訳する強さを見せた。
劉所長も銀行の融資責任者も戦後中国から渡って来た外省人と呼ばれる人達でこの時代は大雑把に言えば外省人は支配する側で謝や秀麗達のような元々の台湾人は支配される側という戦前の日台関係と大きく変わってはいなかった。
戦前生まれの謝は角が立たないように話す習慣が身に付いており橘の発言も必要以上に柔らかく通訳し秀麗は遠慮も引け目も無く真っすぐに通訳するというその差が出た。
謝が悪いのでは無く秀麗の年齢と生い立ちに関係するのであろうと思っていた。
「私こそご心配掛けてすいませんでした、洋服のお金は明日必ずお返ししますから」
前進泥まみれのまま会社に現われた秀麗に橘は自分の財布からお金を出し住まいにしているホテルの鍵と共に差し出し楊英華に付き添わせて街で洋服を買ってホテルで着替えて来るように指示した。
秀麗には悲惨な事故も銀行との融資交渉がこちらの想定通りに終わり、その日の夜は事務所メンバー全員の初めての食事会が開かれ酒の肴としてテーブルに供される事になった。
「今だから言えるけど直ぐには誰だか分からなかったよ」
横山がからかうように言った。
「私だって恥ずかしいから一度家に帰って着替えようと思ったのですが時間に間に合わないと思って・・・」
秀麗は顔を少し赤らめて反論した。
「御免、御免、からかうつもりはいから」
「それにしても先方は良く折れましたね」と謝が話題を変えた。
「それは一か八かで将来の拡張計画を遅らせると啖呵を切ったからね、宋さんが通訳した時に相手の顔が見る見る変わったのを見てこれは行けると思ったよ」
「私も少し誇張気味に通訳しましたから」
「取り敢えず最初の関門はクリアしたけど、これからも大きな壁が幾つも待っていると思うので引き続き宜しく頼むよ・・と言う事で今日は仕事のことは忘れて大いに飲もうじゃないか」
橘の合図でそれぞれが和やかな会話を始めた。
総経理はお子さん二人でしたよね」
円形テーブルの隣に座った秀麗が訊ねた。
「小学校五年生と三年生の息子が二人だよ」
「お子さんと離れて寂しくありませんか」
「そりゃ寂しいさ、でも今の仕事は遣り甲斐もあるし、毎日忙しいから何とか紛れているけどね」
「いつも夕食はどうされていますか」
「本当は会社の寮で皆と食べることになっているけど君も知っての通り仕事の関係で外食する事の方が多いね」
「ご家族は台湾へいらっしゃらないのですか、八木さんの奥さんは九月頃と仰っていましたよね」
秀麗が円卓の二つ隣に座った八木に声を掛けると
「そのつもりだよ、僕は子供も独立して女房と二人暮らしだったからね」と嬉しそうに答えた。
「八木さんは愛妻家だから・僕は子供の学校の問題もあるから単身で頑張るしかないね」
と少し寂しそうに答えた。
「もしプライベートで何か不自由な事が有ったら仰って下さい、私に出来る事なら何でもお手伝います」
「ありがとう、それより君のお父さんはうちの会社に勤める事に反対だったそうだけど、やっぱり日本の会社には抵抗があるのかな」
「いえ、父はとても日本贔屓ですよ、今でも家の中で時々日本語を話しているぐらいですから、ただ私が一人暮らしする事には猛反対でした」
「父親なら当然だね、それより日本統治時代を経験されているお父さんが日本贔屓になられたのはどうしてなの?」
「父の話だと子供の頃に大きな影響を受けた日本人が居たそうです、今の自分があるのはその人のお陰だと事ある毎に言っていますから」
秀麗の父は裸一貫から事業を興し戦中終戦後の混乱期を乗り越え今では多くの企業群を抱える実業家になっていた。
(8)劉所長の難題
同時進行している工員採用も人事担当の吉田英四郎の指揮の下で順調に進められ予定の五百名の採用が全て決まり、事務所の入り口と事務所が入ったビルの一階ロビーには募集締切りを告げる大きな紙が貼り出された。
それにも係わらず翌朝も事務所の前はおろか一階ロビーまで求職者が溢れかえり一向に立ち去る気配がなかった。
そんな状況を聞き付けた劉所長が昼前になって突然事務所を訪ねて来た。
「橘さん、事務所前は凄い人だかりですね、実はその事で伺ったのですが、ご覧の様に台湾ではまだまだ職を求めている人が沢山います、我々の仕事は御社の様な外国企業を誘致してお手伝いすると同時に台湾人の就業を上げる事です、政府が外国企業に対し税制面などで優遇するのも、こうした背景が有る事は十分ご存知だと思います、御社のような優良企業には是非とも台湾政府の考えをご理解頂き、少しでも多くの台湾人を採用願いたいものです、彼らの賃金は日本人に比べれば安いものですからそれほど御社の負担にもならないはずですから是非ご検討願えませんか」
謝佳賢は劉所長の丁寧ではあるが威圧的な言い回しを割愛して趣旨だけを通訳した。
「所長のお話は良く分かりますが、当社も工場が直ぐ軌道に乗るとは考えていません、はじめは五百人規模でスタートしますが将来は二千人規模まで拡大する計画でやっています、ただ当面は五百名体制で基礎を固めなければと思っていますのでそれまでお待ち願えませんか」
橘は劉所長の発言の趣旨を理解しながらも将来的な考えを改めて示して丁重に断った。
「いやいや、そう言われては身もふたもありませんな、無理を言っている事は承知ですが私も上層部から強く要求されていまして、御社の回答次第では私もいつ何時職を外されるか判ったものでもありません、私は御社のような先端企業に大変期待していまして、内のスタッフにも御社には全面的に便宜を図るよう指示して来ました、その辺の事情もご理解頂いて何とか再考願えませんでしょうか」
劉所長は役人らしい物言いで更に迫った。
謝の通訳には知らず知らずの内に劉所長の立場を忖度したニュアンスが含められており、橘は監督官庁との関係を悪化させたくないという思いから要求を受けるしかないと判断した。
「お話は良く分かりました、とは言え所長がおっしゃる三百名はさすがに厳しく本社の承認も取らなければなりません、百名以下であれば何とか私の判断で決められるのですが如何でしょうか」
と答えた。
暫く考える振りをした劉所長は
「分かりました、確かに御社の都合も有るでしょうからここは橘さんの提案通り百名の追加採用と言う事で手を打ちましょう」と小さく微笑み慇懃無礼に承諾した。
「本当に嫌な人ですね、それならそれで頼み方があるのに、役人らしくはっきりものを言わないし嫌味な言い方をするし、ただ自分の業績を上げたいだけですよ」
劉所長が帰った後、終始不満そうな顔を浮かべて聞いていた秀麗が誰に言うとも無く憤りをぶつけると、謝がそんな事言うものじゃないと窘めた。
(9)ドライバー事件
兎にも角にも六百名の採用が決まりそれぞれの職場に配属された。
工場は事務所の一部を除く全てが完成し遅れていた生産設備も整いそれぞれのグループに分かれ作業訓練が開始された。
事務職の四十名と物流を担当する三十名を除く総勢五百三十名は全て製造部に配属され、大草と横山は日本本社の支援者と共に作業訓練に入った。
完成ラインは五十メートルのベルトラインに沿って八十名ほどの工員が並び順次部品を取り付け製品に仕上げる工場のメインである。
それぞれのラインには部品が手順通り間違いなく組み付けられているか、完成した製品が基準通り機能するかなどを検査する工程があり入社試験の成績優秀者が配属された。
AからDまである完成ラインの中でもAラインは工員の中でも特に優秀だと思われる精鋭が意識的に集められ工場全体の生産効率を上げる為の実験ラインとして構成された。
Aラインの検査工程を任される事になったのが郭鈴英といい彼女は正に全工員中で最も優秀と認められた一人であった。
話は少し逸れるが福沢電機の社員食堂は周辺の工場と比べて食事の内容が充実して美味しく、後々には近隣の工場にも評判になり隠れて食事に来る者が絶えないほど盛況になる。
しかも社員に対して会社が昼食費の二/三を補助するという福利厚生策が取られた。
橘は台湾工場の責任者に指名されてから何度も高雄に出張し工場建設の段取りをすると共に幾つもの現地工場を視察していた。
視察中に貧血で倒れる工員を目の当たりにし、午後になると急に生産効率が落ちると嘆く工場責任者の話を聞きその現実を探ると朝食を取らずに出勤してくる者が多い事が分かった。
橘は急遽設計を変更し社員食堂の充実を図った。
話は元に戻るがそれでも郭鈴英は食堂で昼食を取らず工場に一人残ってライン横の机にうつ伏せになって時間をやり過ごし空腹をやり過ごす日々を送っていた。
誰もいない完成ラインを見渡すと作業で使用されるドライバーが雑然と道具棚に戻され杜撰な管理がされている事に気付いた。
道具棚には予備としてかなりの数がやはり雑然として置かれ全体の数など把握されていなかった。
そんな観察をしながら食堂から同僚が帰って来るのを待っている内にふとした出来が芽生えた。
鈴英は道具棚から数本のドライバーを抜き取り自分の手提げ袋に隠し退勤時間にこっそりと持ち帰った。